2015年1月28日水曜日

後藤健二さんの母まとめ

イスラム国に拉致された後藤さんの母親と言う人物が会見に応じ、その内容に違和感を覚えざる得ない母親の声明文について纏めてみました。


声明文の全文「健二の命を救って」




イスラム過激派組織「イスラム国」とみられる組織に拘束されているジャーナリストの後藤健二さんの母親が出した声明文の全文です。

「私は石堂順子と申します。ジャーナリスト後藤健二の実の母親です。多くの外国人記者の皆さんにお集まりいただき、感謝します。日本国民・日本政府の皆さん、諸外国の皆さんに健二が大変ご迷惑をおかけしていることに心よりおわびします。私はこの3日間、ただただ、悲しくて、泣いていました。表現できません。健二は幼いころから心の優しい子でした。健二はいつも『戦地の子どもたちの命を救いたい』と言っていました。中立な立場で戦争報道をしてきました。イスラム国の皆さん、健二はイスラム国の敵ではありません。解放して下さい。日本は戦争をしないと憲法9条に誓った国です。70年間戦争をしていません。日本はイスラム教諸国の敵ではなく、友好関係を保ってきました。日本は唯一の被爆国です。アメリカによる広島と長崎への原爆投下で数十万人が亡くなりました。あと残された時間はわずかです。日本政府の皆さん、健二の命を救って下さい」。



後藤健二さんの母を名乗る、石堂順子まとめ

後藤家に3歳の健二さんを置いて離婚し旧姓石堂に戻る。
親権は父親、健二さんを育てたのは再婚した義母で、健二さんにとってはその義母こそが母親。
(石堂順子が嫁と会ったこともなく、孫が生まれたことも知らなかったのはこのため。)

会見をとめようとした親族は健二さんの実父。
(突然母親面して会見とか許せないのは当然。)
石堂順子は健二さんと交流はあるが数年に一度会う程度。

健二さんが攫われたことをテレビで知り、アカ繋がりのジャーナリスト田中稔(社会党村山の元秘書)と組んで会見を開くことに成功。

健二さんを心配したのではなく、9条と反原発を世界に訴えることが目的。
(会見後の達成感に満ち溢れた笑顔はこういう理由。)
親族がとめようとしたのもそれが理由。



後藤さん母の意味不明会見について夫「すみません、妻は混乱していて、何を聞いても原子力の話になってしまって…」


「健二はイスラム国の敵ではありません。先に拘束された友人の釈放を願って渡った子です」
と悲痛な表情で語ったのは、ジャーナリスト・後藤健二さん(47)の実母・石堂順子さん(78)。
後藤さんと湯川遥菜さん(42)の人質事件は、
1月24日夜にイスラム国側が湯川さんの殺害を公表したことで急展開している。
 
その前日、順子さんは都内の外国人記者クラブで会見を開き、
息子の解放を涙ながらに訴えていた。だが会見で順子さんがしゃべった言葉には、
テレビで生中継を見ていた人たちから「意味がわからない」という驚きの声もーー。
「この地球は大切にしなければならない。私たちのために神が創ってくださいました、
その貴重なプレゼントをなぜ壊すのか。原子力を使い、地球を汚し、
大気圏を汚して何を求めようとするのか……」と人質事件と無関係に思える話を
何度も口にして、会場の記者たちを困惑させた。
じつは、これには理由があった。
順子さんの帰宅を都内の自宅で待っていた夫の行夫さん(78)は、頭を下げて、こう明かした。
「すみません、妻は非常に精神的に混乱していて、何を聞いても原子力の話になってしまって……。
歳も歳ですし、ご理解ください」
母・順子さんは、イスラム国による息子の殺害予告を聞いて以来、
悲痛のあまり錯乱状態になっていたという。
その状態のままで記者会見へ出席した順子さんは、記者が困惑する発言を連発したのだ。
この日、自宅に戻った後も記者の取材を受けた順子さんだが、後藤さんと最後に会った時期
についても、「たしか最後に健二に会ったのは3年前。誕生日を祝ってもらったんです……
あれ、でもその後も何かの展覧会に一緒にいったかしら……」と答えるなど、
その記憶は心労で不安定だった。残された家族の心痛は、あまりに深いーー。

引用:http://news.livedoor.com/article/detail/9717866/

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